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広告づくりは「クライアントを愛する」ことからはじめる
広告の仕事を始めて今年で10年になりますが、基本的には「クライアントを愛する」ところから仕事を始めるのが僕にとって唯一の絶対的なルールです。
愛せないクライアントの仕事をしないとか、愛せるクライアントとしか仕事をしないとかではなく、まずはどんなものでも好きになるまで考えみるわけです。
その工程で、クライアントのもっている強みだけでなく、問題も見えてきます。
消費者目線を忘れない
しかし、そのときに気をつけなくてはいけないことがあります。客観的な視点、広告的な表現で言えば「消費者目線」を忘れないということです。
クライアントである広告主は、自分たちの製品やサービスについて主観的な視点を持っています。
僕もその立場で働いたことがあるのでよく分かるのですが、ひとつひとつの製品やサービスの裏にはたくさんの苦労があり、まさに自分の子供のような存在です。
しかし、これは広告主だけでなく、長く同じパートナーと仕事をして、クライアントを愛しすぎてしまった広告制作側にも起きやすい問題であるところに、注意が必要でしょう。
情報を自分の頭から意図的に除外する
たとえば、ある家電メーカーの広告を長くやっているとします。
すると、「赤のカラーバリエーションを見直し、わずかに彩度を上げました」というような些細な変化を大きく捉えすぎてしまい、広告してしまうことがあります。
消費者にとっては気付かないほど些細でメリットの小さい変化なのに、消費者目線を失っているためにこの変化を「伝えるべきでない」とジャッジできなくなっている状態です。
僕も経験がありますが、そんな時には「消費者は知り得ない情報」を意図的に頭から除外すること、つまり、「計算された無知」が必要になります。
「伝えるべきでない」とジャッジするために
先ほどの例に戻ると、「赤の彩度をわずかに上げた」という表面的には小さな変化の裏側に
「塗料の値上がりで新たな調達元を苦労して探した」
「綿密なマーケティング調査の結果、彩度の低い赤の製品が売れていないことがわかった」
など大きな苦労が隠れていることを知ってしまっているためにジャッジを誤るわけです。
広告主の利益を最大化するためには、ときに「伝えるべきでない」とジャッジするのが広告制作側の持つべき覚悟でしょう。
そして、そのときに必要なのが「自分の知っている情報を意図的に除外すること」つまり、「計算された無知」だと僕は思います。