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僕はコンテンツプロデューサーを名乗ってフリーランスで仕事をしていますが、その中にはさまざまな業務が含まれています。
よくあるもので言うと、制作プロデューサー、コンサルタント、ディレクター、プランナー、コピーライター、ライター、そして編集者です。
時期によってどのタイプの仕事が多いか変わってくるのですが、最近は編集者としての仕事が多く、企画構成や原稿チェックをよくしています。
その中で、長年考えていたことがふと理解できた瞬間がありました。
良い原稿、良くない原稿
著者もさまざまなら、原稿もさまざま。
それぞれの癖(雰囲気や味と言い換えてもいいかもしれません)はありますが「良い原稿」「良くない原稿」というのは確実に存在しています。
それって、一体何なのでしょうか。
漢字やスペルが正しいかどうか、文法が正しいかどうか。
そんなことよりも根源的な何かがあるような気がずっとしていました。
漢字を間違えていても「味」のある原稿はありますし、文法が間違っていても「雰囲気」のある原稿があります。その逆もまた然りです。
たとえば、美文として名高い三島由紀夫の作品「サド侯爵夫人」から一部を引用してみましょう。
想像できないものを蔑む力は、世間一般にはびこつて、その吊床の上で人々はお昼寝をたのしみます。
そしていつしか真鍮の胸、真鍮のお乳房、真鍮のお腹を持つやうになるのです、磨き立ててぴかぴかに光った。
あなた方は薔薇を見れば美しいと仰言り、蛇を見れば気味がわるいと仰言る。あなた方は御存知ないんです。
薔薇と蛇が親しい友達で、夜になればお互ひに姿を変へ、蛇が頬を赤らめ、薔薇が鱗を光らす世界を。
たしかに美文です。
でも、読みにくかったのではないでしょうか?
大学生の頃、文庫本で読んだときは美文だと思いました。もちろん「良い原稿」です。
しかし、ディスプレイを通じて横書きで読むにはとても良い原稿とは言えないと僕は思います。
読者のことを想像する
三島由紀夫の引用が読みにくかったのは、著者が想像していない環境に僕が引用したからです。
「このような」とは噛み砕くと
- 余暇時間に
- このブログを開いた人が
- ディスプレイ(ほとんどが5×10センチ以下のスマホ)で
- 気軽な気持ちで
読んでいる環境ということです。
つまり、今あなたが読んでいるその環境は想像されていないのです。
こんな環境で文章が読まれることのない時代に書かれた原稿なのだから当たり前ですね。
「サド侯爵夫人」は、
- 読書を目的とした時間に
- 一定以上の読解力のある人が
- 紙に縦書きで印刷された本を開いて
- ある程度の覚悟を決めて
読まれる文章であって、その環境において美文、良い原稿になるよう書かれているのでしょう。
それ以外の環境に置かれると途端に読みにくくなります。
「サド侯爵夫人」にかぎらず、全ての原稿が読まれるべき環境を持っています。
それは裏を返せば「原稿は、それが読まれる環境を想定して書かれるべき」であるということです。
これが「読者のことを想像する」ということだと思います。
読者のことを想像すれば「サービス精神」が宿る
つまり、「良い原稿」とは読者について想像力が及んでいる原稿なのではないでしょうか。
- いつ
- だれが
- どんなデバイス・媒体で
- どのような気持ちで
読んでいるのか。
これを想像して書いている原稿は軒並み「いい原稿」になると思います。
なぜなら、そこには「サービス精神」が宿るからです。
サービス精神とは、言い換えれば「期待を裏切らない努力」をするということでしょうか。
フォークを落としたらすぐに持ってきてくれるレストラン、客を必ず楽しませるディズニーランド、反応の良いデジタルデバイス。
どれも、顧客の期待を想像し、それを裏切らないことで「サービス精神」を感じさせてくれます。
「サービス精神」が良い原稿の条件
つまり、想像力を働かせて書いた原稿は、
- 読者にとって不慣れな言葉や文章には注釈が付く
- 一文の長さが適切に調整されている
- 小見出しが的確に付けられている
- 比喩や例示が適切である
などなど、様々な方法で親切に書かれていて読者が充分に理解することができます。
つまり読み始めるときに抱いていた期待を裏切らないということです。
サービス精神を持って書かれた原稿であれば、文字や文法が間違っていてもそれは単に仕上がりの問題であって編集側が適切な修正指示を出すだけで解決します。
「原稿」とは、読者がいることを前提とした文章のことなので、どれだけ美しく書かれた文章でも読者に想像が及ばない原稿は「原稿」と呼べないと言ってもいいのではないでしょうか。
日記やメモなら「ただ意味が通じるだけ」「伝えたいことが書かれているだけ」でも構わないわけですが、「原稿」であれば読者に不親切にならないようサービス精神を持って書かれることが最低限のマナーなのでしょう。
それが、「良い原稿」と「良くない原稿」の決定的な違いです。
サービス精神のない原稿を受け取ってしまったら
では最後に、そんな「良くない原稿」を受け取った編集者がやるべきことは何なのでしょう。
大きく3つだと思います。
- ボツにして掲載を見送る
- ボツにして他の著者に原稿を依頼する
- 著者が読者に想像力が及ぶよう、手助けをする
時間がなければ1の方法を、時間はあるが著者に期待できない場合は2を、そして著者を育てたい場合は3を選択します。
編集者としてはできるだけ3を選択したいところではありますが、状況がそれを許さなければ仕方ない場面もあるでしょう。
しかし、どんな場合でも事前の説明を怠った編集者側にも大きな非があることは忘れてはいけないと思います。
さて、この原稿はそろそろ皆さんの環境で読むには限界の長さになっているでしょう。
まだまだ書きたいこともありますが、サービス精神を欠いてしまう前にこのへんで終わりにしたいと思います。
それではまた!